6月13日 下の名前で呼ばれないタイプ

特に小学校の頃はまじめで、言われたことにはきっちり従う子供だった。
というよりルールを破る理由が分からなくて、どうしてわざわざ怒られに行くのか、やれと言われたことを破ってまでやりたいことがそれか、と不思議に思っていた。

答えなさいと言われてわかっているのに答えないとか、聞かれてもいないのに答えたりとか、静かにしなさいと言われているのにしゃべるのをやめないとか、手をまっすぐに上げないとか、手を膝に置かないとか、そんなことしなければ一発で優等生なのにどうしてこんな簡単なことができないんだろうとイライライライラしてみたものの、血管浮かび上がらせながら意地になってルールを守ったからといって何かいいことがあったかといえばそんなことはなくて、クラスの中心にいたのはいつだってうるさいやつだったし、先生は彼らをよくしかり、その分良いことをすればしっかりほめていたけど、一方先生が私のことを気にかけたような記憶はほとんどなくて、三者面談のときなどは体よく褒めてくれるものの、先生と生徒の時間がそれぞれ割り振られているとして、私の取り分は小さじ一杯ほどであった。

やがて学年が上がって中学高校と進むにつれて、私の張りつめた神経も緩み、楽な方楽な方へと流れて行って、学校行事に対する熱量なども次第に弱まっていき、指されるまで答えなくなっていったのだけど、ここまでまじめでやってきたからか、言いつけを守らないことに体が拒否反応を起こすケースもあって、学ランの首のホックを外したり携帯を持ってきたりといったルール違反に関しては、守っている方が少数派になってもなお無理やりにでも守って生きてきた。

目上の者にやれと言われたことは基本的にやる人生だが、それで何かいいことがあったかといえば、例えば授業を真面目に聞くことで聞いていない生徒より勉強時間を稼げて、結果的にテストの成績が良くなったかな、といった具合で、そんなもの高校を卒業してしまえばもはや何の意味もなさないわけで、今の自分の糧になっているものは特にないのである。

俺はいまだに不良の肩ばかり持って俺たちのことをおざなりにしていた先生ことを思い出して飯をまずくしているわけで、先生の言うことを聞かないのが正解といいたいのではなくて、先生の言うことを聞くことだけがモチベーションでありアイデンティティーであったことに後悔しているといいたいのだ。

運動神経がよかったり、歌がうまかったり、ダンスを習っていたり、人それぞれにアピールポイントがあるのだけど、クラスの中で私のキャラクターは「先生の言うことを聞いている人」であってそれ以上でも以下でもなく、担任の先生という存在が私の世界から消え去ってからは、私には何にも残っていないのだ。

みんな先生の言うことを聞く以外にもたくさんの経験をして、それを通して自らを知って、あれが得意これが苦手で格付けしあって、あれに挑戦したいこれになってみたいと躍起になっている中、学校にいる時間をルールを守ることだけに費やして、うちに帰れば惰性でゲームばかりしていた私は、すっかりただの「ゲームが好きな人」以外に言い表しようのない人間に成り下がってしまい、にっちもさっちもいかない毎日を過ごすのであった。

なんでも回りと違う行動をするというのはストレスのかかることであって、教室が小学生特有のきんきんする声で埋め尽くされ、先生が生徒をにらみつけている間、一人教科書をひらいて膝にこぶしを重ねてまっすぐ教卓に体を向けて黙っていたことや、学級代表は男女一人ずつ挙手性だといわれ「ぴん」と張り詰める教室の冷たい空気を貫くように、腕を耳に着けて手を挙げてまじめな顔を先生に向けたこととかが、要約すれば「黙れと言われて黙った」「手を挙げろと言われて手を挙げた」というしごく単純なことだったにもかかわらず、ほかにそれをする人があまりにも少なかったことも災いして、幼い私には何かとてつもないことをやり遂げたかのような錯覚が、大きな快感を伴って襲い掛かり、私は先生の言うことを守れる人間だという選民意識を生み、どうしてこんな簡単なことができないんだろうとはいいながら、簡単にそれができてしまう自分を誇りに思って、結局それだけの人間にしてしまったのかもしれない。

もっと他のものにやりがいを見つけていれば、やれと言われたこと以外に何かやりたいことがあれば、今よりもう少し楽しい20代を迎えられたのかもしれないと、天井を見つめながら思うのである。