6月10日 自衛のために目をつぶっている

22年も同じ顔で生きていれば、自分の顔が良くないことなんて当然思い知っているのだけど、とはいえそれは鏡や写真に映る自分と、その辺の人とかブサイクと呼ばれている人とかとを比べて、自分でたどり着いた真実であって、「お前はブサイクだな」などと、事実を叩きつけられたことは思い返せばほとんどないような気がする。

言われたことがないからといって、自分のブスが勘違いであって、客観的に見れば問題ないクールガイというわけでは絶対になく、「首の小さいシャツ着ると、脱ぐときエラに引っかかって伸びちゃうんですよね」などといった自虐をかませば、もれなくみんな笑いやがるわけで、私のエラはどこからどう見ても張っているし、言わないだけでみんな俺の顔を見て最初に目がつくのがそこであろうと思う。

事実として私の顔は崩れているのに、誰も崩れていることを言わないのは、世間一般にブスはそう扱おうという不文律が成り立っているのか、それとも私の周りが優しいのか、それとも、顔がどうとか言えるほど仲のいい人がいないのか、よく分からないけど、私は顔によって損をしたことって、選べる服が限られて困るとか、慢性的に少しずつじわじわ削り取られていくようなことばかりで、自分の顔を呪うほど嫌なことは今のところない。

ただ、最近になって話は変わってきている。

自分の顔のことを考えるのは朝起きてヒゲ剃るときぐらいで、そのときイラっとしてしまえば、あとは何にも考えずに生きていられたのに、緊急事態宣言の煽りを受け、あんまり人前に出なくなってヒゲを剃るのも数日に1度ぐらいになると、自分の顔を見るのも同じぐらいの頻度になり、鏡を見るごとのインパクトも大きくなって、「うわ、そういえばこんな顔してたな」と、これまでジワジワやっていたのが、以前より強いダメージをまとめて喰らうようになってしまったのだ。

私は漠然と「見た目だけで好き嫌いを決めてはいけない」と、自分の立場も鑑みて思っていたし、周りに対してはこれからもその態度を続けるべきだとより強く思うのだけど、こと自分に関しては、なんせ自分から嫌われているのだから、多少顔で嫌われても仕方ないな、と思い、オンライン授業でさえも、マスクをつけて臨むのであった。