6月30日 絵を描けるようになろうのコーナー

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ギターを買ったはいいがまったく弾けるようにならずに挫折し、ついでにサークルまで辞めてしまった経験からも分かるように、大学生になってからの私は新しい技能を獲得するのがものすごく苦手になっている。

幼いころ、そのみずみずしい記憶力、理解力ゆえに努力を怠ってきたつけが回って、「頑張らないとできるようにならない」という事実がどうしても受け入れられなくて、簡単に獲得できないものだと分かるとすぐにあきらめてしまうのだ。

しかし、ここ最近バカみたいにApexにいそしんで、全然勝てないのにそんなこと意にも介さずくり返しくり返し死に続けた結果、気づけばまあまあ撃てるようになって殺す側に回ることもできるようになってきていて、はじめはうまくいかなくても続ければそのうちできるようになるよ、という幼稚園に上がる前に言い聞かせられるべきだった簡単な法則にやっと手が届いた。

これに味を占めた私は勢いをそのままに絵の練習を始めた。

挑戦すれば一つ一つできるようになるし、出来る事が一つ増えるとやりたいことが一気に湧いてくるというのはApexで学んだ事であるから、そんなに高望みせずに継続して練習する。

 

腕を引かれる女武道家を書くことで女武道家を書く能力が醸成されて、今度はもっと嫌な顔をした女武道家を書くことができるようになるという算段である。

授業のメモ 

『竜』芥川龍之介の授業メモ
 
典拠(宇治拾遺物語)とのちがい
・原文では結局竜が飛ばない 
・600文字ぐらいだったのが9000文字ぐらいに膨れ上がっている。
 ・噂話が広まっていく詳細な描写はない
など
 
鼻 新思潮 1916(大正5)二月
竜 中央公論 1919(大正8)五月
 
なぜ最後に禅智内供の話を挿入したのか?
メタ?
竜では翁による語りという構造の中で宇治拾遺物語に元ネタがあることが示唆されている→大きく改変して一つの作品に仕立てているということが調べればわかる。
陶器造の翁は、なんで内面の描写がこんなに細かいのだ、本人に聞いたのか?とでも言いたくなるようなことを言う。作り話か伝え聞いた話か、どんどん白熱していく。
翁が語るのは何気なくついた嘘が周りの人間によって尾ひれがつきどんどん過熱していく話であるが、一歩後ろから見るとこの翁による誇張の入り混じった語りがほかの人に伝わっていくというのも構造的には同じ。
 鼻も同じように伝えられ、その上小説としてまとめる過程で面白くなるように改変している。
ありとあらゆる物語について同じことがいえるということ?
 
恵印法師の虚構が人々によって尾ひれがついて肥大化していく。
その肥大化した話を翁がダイナミックに誇張して語る。
物語が物語集に収められるにあたって何か誇張があっただろう→その作品をアレンジして発表する小説家。
 
少なくともこの小説それ自体については入れ子の構造になっている。
 
 
 
行人から聞いた説話を集めて宇治大納言物語を著した時の話。11世紀?
 
何、昔もいたかどうか分らぬ。いや、昔は棲んで居ったに相違あるまい。
昔は天が下の人間も皆心から水底には竜が住むと思うて居った。さすれば竜もおのずから天地の間に飛行して、神のごとく折々は不思議な姿を現した筈じゃ。
 (本文より)

 

心の底から信じている人の目に超自然的な存在が映ったとしても不思議ではない。
みんなが信じていて、見た、見たというならば、住んでいたと言ってしまってもよいだろう。
この描写は単なるバカ貴族としての態度ではなく、虚構を受け取る側の態度についてどこか示唆的なものでは。
 
芥川はもはや市民には忘れられている数多くの古典文学について、再構成して私たちの生きる現在でもなお受け継がれるほどの名作に仕立ててきた。 

6月28日 救いを音楽に求める人の真似をしてみよう

「この曲を聴くと失恋した時のことを思い出す」と慣用句にもなっているように、五感と記憶との結びつきというのは多くの人にとって実感とともに自覚されており、全然調べてないがおそらくそういう心理学の論文とかもありそうだなという所感であるし、嗅覚ならばタバコの匂いから父親がスーパーロボット大戦をやっているのを横から見ていた時のことを思い出したり、味覚でも視覚でも結構いろんなことを思い出すのだけど、こと音楽に関しては私にはどうにもぴんと来ないというか、曲と特定のイベントが結びつくことが少なくて、上記のようなセリフを全部ウソだと思っており、目にするたびに「了解でーす」とつぶやいて鼻の穴から小さく空気を噴射するばかりであった。

昔聞いていた曲について、「中学の頃よく聞いたわ」とか「お姉ちゃんが好きだったやつだ」などと、ある程度の範囲を持った記憶が残っていることはあるし、文化祭とか体育祭とか、あからさまなイベントごとのBGMならばまだ「そんなこともあったな」と思うのだけど、私だけの記憶の中には音楽はない。


ここまで多くの人が同じようなことを言っているのを見るとこっちが間違っているのかもしれないな、と思うこともあって、湿っぽい曲の動画に「、」とか「。。。」の多いコメントがついているのを見てへらへらしながらも、白い目で見られるべきなのは私なのではないかと不安にもなるので、何かいやなことがあった時などには先人に倣って耳にイヤホンを突っ込むこともある。

しかし、落ち込んでいるときの私の心はギザギザにとがっていて文学との食い合わせが悪く、情緒的でしっとりとした歌詞だろうが明るくポップな歌詞だろうが、そのときの状況にしっくりくれば「おまえに何がわかるんだ」と歯を食いしばってしまうし、自分と関係なければ関係ないで「おれはいったい何をしているんだ」と部屋の隅を見つめてしまう。

であれば歌詞がなければいいのではないかと思って作業用BGMを検索してみるのだけど、そういうのが私に及ぼす効果と言えば環境音をかき消して脳内活動を活性化させることぐらいであって、脳みそが頑張っているときに聞いている音楽なんて全く覚えていないのである。

音楽とは元気な時に聞くものであるし、元気な時に積極的に音楽を聴いているならば、記憶に残るのは音楽そのもの、歌詞そのものであって、音楽と一緒に何かが記憶に残るということもない。

そういうわけで私には好きな音楽はあっても音楽に関連するエピソードトークのようなものが全然なく、かといって音楽の構造などについての知識があるわけでもなくて、音楽は聞くだけ、私の頭に残るだけである。

音楽と一緒について回る情報と言えば、だれが歌っているかとか、何の主題歌だったかとか、何年生の文化祭で使ったかとか、クイズみたいな記憶ばっかりで、この曲を聴くたびにあの人との別れを思い出すとか、つうっとひとすじ涙が流れてしまうとか、自分しかわからない類の感情が想起されることはない。


楽しげに音楽についてしゃべる人々を見て私の不健全な態度は時とともにぐんぐん膨らんで醜くなっていき、もはやちょっと思い出をしゃべってるだけの人にすら膨らんだ鼻を向けるようになってしまったのであるが、いくら私が彼らのことをくだらねーと言ったところで、私への評価はニヒルで知的なクールガイなどにはならず、嫉妬まみれの逆張りバカがいいとこである。

こうやって思考を文字に起こしてみて客観的に見てみると、自分でも逆張りバカが嫉妬しているように見えるし、もうへこんだプレートをひっくり返して盛り上がっていると言い張るような、思春期のようなことを大げさに言うのはやめて、わざわざ周りをにらみつけたりせずに自分だけのために音楽を聴かないといけないなと思う。


くるりを聞きながら夜道を歩いてみるだとか、それっぽい聞き方をしながら慣らしていけば、そのうちすっごいいやなことがあった時なんかもそれっぽい音楽鑑賞チャンスとすることができて、心の傷を未然に防ぐことができるかも、という仮説を立てた。

やっぱり「みんなみたいに音楽に救われた話をして悦に浸れるようになるぞ」と、逆張り嫉妬バカの打算的な部分が顔をのぞかせているきらいもあるが、まあ全体的に見ればここぞというときの心のよりどころを音楽に見出すような、精神衛生上においても何らかの効果がありそうだし、なんにせよはじめはかっこつけでもあとあと硬さが取れて本人の性質になるようなこともあるので、とりあえず挑戦してみようと思った。

6月27日 私の食生活レポート

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この記事に使用したいくつかの写真群は、それぞれ私の下宿生活のある連続した数日間の食事を過不足なく切り取ったものである。

見ての通り私は一度料理を始めると継続して全く同じものばかり食べてしまう習性を持っており、この習性によって絶滅の危機にさらされている。

 

実家に住んでいたときには毎日母の料理を食べており、今思えばこんなにありがたいことはないのだけど、かけがえのなさに気づくのは失ってからと相場が決まっている通り、私もその例に漏れず一人暮らしを始めてからやっと日々の食事について考えることのダルさを知ったのである。

感想も感謝も返ってこなくても文句のひとつも言わずに毎日毎日家族の食事を用意し続けるその姿を思うと頭が上がらないというか、どう考えてもそんなことは不可能であって、何らかのトリックがあるに違いないとにらんでいるのだが、その件はまた別の機会に検証する。

ともかく毎日食事を作ることの大変さといったら想像を絶するのだけど、実際に自炊を始めてみて気づいたさらに不可解な現象というのが、実家では毎日献立が違っていたのにも関わらず、一度私が自炊をすると、そこから毎日同じものを作ってしまうというものである。

 


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ニンニクとベーコンを買うと、ニンニクとベーコンを使った料理というのはこの世界にペペロンチーノしかないわけで、必然的に夕飯はペペロンチーノになるわけだ。

ここで問題となるのが私の近所にある食料品店が、コンビニと業務スーパーしかないことである。

せっかく料理をするなら妥協したくない私は、オリーブオイルにスライスしたニンニクを入れるところから始めなければ満足できないので、チューブのニンニクでは要件を満たさず、必然的に業務スーパーで丸のままのニンニクを探すことになるのだが、そこは業務スーパーとあって業務上必要な方々や大きな冷蔵庫をお持ちのご家族のためにビジネスがデザインされており、一人暮らしの大学生のちっちゃい冷蔵庫におさまりの良い、1d/d(いちだいがくせい パー デイ)サイズの食料などどこにもなく、青森産1玉300円の高すぎるニンニクを選ぶわけにもいかず、500グラムでそれより安いぐらいのネットにぎゅうぎゅう詰めにされたものを買うほかなく、そんなものを買ってしまえばそこから先はニンニク地獄であり、先ほど申し上げたとおりニンニクなんてペペロンチーノにしか使わないのだから、そこから先は毎日ペペロンチーノを食べることになるのである。

 

 

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豚キムチの場合も同様に、豚肉なんて一人暮らし用の取り扱いなんてないのだから、一度買ってしまうと数日かけて消費することになるし、キムチなんて豚キムチを作るために存在する調味料なのだから、キムチがなくなるまで豚キムチ以外食べてはならなくなるのである。

キムチが余れば豚を買い、豚が余ればキムチを買うという無限ループに陥る危険性もあるため、キムチの取り扱いには細心の注意が必要である。

 

 

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恥ずかしながら思いっきり人間をやらせてもらっているので、うぜえうぜえと言いながらもバッチリお腹は毎日空く上に、できれば美味しいものを食べたいナというカワイイところも兼ね備えており、インスタント・レトルト食品に胸焼けがしたときには、積極的に自炊をするのである。

 

私には玉ねぎとひき肉を買ってくるとミートソースを作るときとハンバーグにするときがあり、その違いはトマト缶の有無だと思われていたのだが、先日ハンバーグ生活3日目にしてトマト缶を追加購入し、そのまま煮込みハンバーグを作り始める様子が観測され、学会は大きく震撼した。

私の食生活に、今後も目が離せない。

6月26日 黒猫が夜に溶ける


せっかくの休みだし(毎日似たようなものではあるが)何にもせずに終わるには惜しいと思って、ちょっと外にでも出るかと服を着替える。

すっかり夜だし外で飯を食うでもないし、ジャージとジーパンを合わせる攻め・・のコーデに身を包んで、胸を張って肩で風を切って玄関まで歩く。

ちょっと遠くまで歩いたら星でも見えないかな。帰りに銭湯にでも行くか。とかなんとか思いながらドアを開ける。

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曇天


せっかく夜道を歩くのだから音楽でも聴こうと思って、ライブラリを上から下まで見てみたものの、この俺のしょぼくれた人生が云々と歌うハードロックなど、高層ビルが立ち並ぶ街並みを歩くならまだしも閑静な住宅地から銭湯に向かう道のりにしては風情が重すぎる曲ばかりで、どうにも気分が出なさそうだった。

しょうがないから新しい歌でも入れるかと、apple music のサイトを漁って情緒的っぽい曲を書きそうな顔をしているアーティストを探し、かねてから話には聞いており、前髪で目の隠れためんどくさい大学生などがしきりに推してくるという印象のあった「くるり」を見つける。

そういう大学生の感性にあいそうな情景であろうと判断したわたしは、手っ取り早く名曲を聴くため、「はじめてのくるり」の再生ボタンをタップした。



はじめて、て。ビギナー向け聞きながら歩くのダッセ~。などと内心でグダグダぼやいておいた私であったが、「はじめての」と音楽サービス側が言うのならば、有名アーティストのヒット曲の中でも特にはずれのないものを選んでいただいているわけで、数分も聞けばすっかり曲が体になじみ、主人公ヅラして歩く私をさらに調子に乗せるのであった。

夜急に思い立って星を見れる場所を探して帰りに銭湯にでも行こうと計画して外に出たら思いのほか曇っていて妥協して銭湯だけ行くことになった時の夜道には、くるり

みんなも試してみてね。

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他の黒猫と見分けつくのか?


なんとも言えないポスターを横目に商店街を目指して歩くと、思いのほか人の多いのに驚く。

町も少しづつ活気を取り戻しているらしく、夜も遅く多くの店はシャッターを下ろしているのだけど、まだ空いている飲食店には次々と人が入っていき、大学近くの商店街らしい姿を見せてくれた。

駅前にたむろする大学生らしき一団に何となく懐かしさを覚え、マスクの下でやさしく微笑むのだけど、全員帽子もシャツもズボンも軒並み外に向かってヒラついていて、帽子を脱げば髪までねじれているのを見て、自分のファッションが恥ずかしくなり、これから楽しい時間が始まるであろう彼らから目をそらし、なにがとは言わないがうつれ・・・と祈るのであった。

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商店街らしさ


なんだか少しでも早くお湯につかりたい気分になった私は、券売機に1000円札を叩き込みながら、手ぶらセット(450円)のボタンを連打し、一枚出てきたところで連打をやめた。

番台のおばさんに券を渡してタオルと石鹸に交換してもらい、脱衣所から浴場を見て思いのほか混雑している様子に辟易しながら、仕方なさそうな顔をして服を脱いで、おじさんをよけお兄さんをよけてシャワーの前に座って髪と体を洗う。

横に気を使って足をぴっちり閉じながらシャンプーを泡立てていると、なんだか暗い気持ちが膨らんで、一体俺は何をしているのか考えるモードに入ってしまった。

この蒸し暑いのにわざわざ遠くまで歩いて、商店街は大学が近すぎて夜になったら元気なのが集まってきて、俺はこんな人まみれのとこ来て風呂入って帰るだけだし、そもそも家からこんな歩かないといけないところに大学があるのがおかしいというか、大学の近くに住みたいと思って引っ越したわりに結局遠くに住んでいるし、遠いせいで人も呼べないし、人が呼べないのは遠いせいだし......。

サツマイモ引っこ抜いたみたいに次から次へと現状への文句がわいてきて、鏡に映る私の眉間が次第に盛り上がり、目はどんどん細くなる。思い付きで外に出たりするからこんなことになるのだ。もう二度と銭湯になんか行かない。星も見ない。こんなことならパソコンの前で背中丸めてた方がましだ......

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京都から持ってきた?


湯につかりスチームサウナを満喫し、水をかぶって代謝を促進させ、風呂上がりにポカリを飲んで史上まれにみるほどの活力に満ち溢れ、すっかり銭湯を満喫した私は、飛び跳ねるように暖簾をくぐり、跳ね回るように帰路についた。

血流が増進し、脳に詰まった悪い血をすっかり洗い流してみると、「はじめてのくるり」も透き通るように私の体にしみこんで、歌詞の一部が心を突き刺したまま抜けなくなった。

傷口から感情を垂れ流しながら周りを見渡すと、なんてことないものまでなんだか情緒的に見えてきて、写真に収めずにはいられなくなった。

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前髪の長い大学生のフォルダにはこういう写真が2万枚ある
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でるのか?
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ホテルの名前全然わからない


こうして次から次へと、夜の世界は俺がすべて切り取ってやると言わんばかりの勢いで、シャッターを切るわ切るわの大立ち回りをしていた私であったが、途中パンツスーツの若い女性とすれ違い、自分の姿と比べてしまうと、すっかり魔法も解けて、撮影熱もキン、と冷えて、これからの人生について考え始めるのだった。

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おわり

6月25日 外に出て、靴で擦る

緊急事態宣言が解除されたとか何とかいううわさを聞いた。

これは外に出てもよいとのお達しか?しかしそうはいってもワクチンとか挿せてるわけでもないし、状況がこれまでと変わったわけでもないし、そんな中で外出てもいいよとか言うか?

などとごちゃごちゃベッドの上で考えたが一向に答えは出ず、そんなもの調べれば一発で分かるだろと思いながらもその気力がわかず、数時間ほどTwitterを眺めたのちに検索バーに然るべき単語を並べたときには昼になっていた。

ここ数日なぜだかカラオケに向かう地元の知り合いがやけに多く、広島県民のあいだで何らかのミーム感染でも起こっているのか、それを見た私もカラオケに向かうのであった。

ひげをそって新しい服を着て、玄関でサンダルを横目にコンバースを履いた。

いつのまに夏がきていたのか、なんだか空が近くて日差しが射さるようだった。

自粛していたとはいえ家賃を振り込んだり食料を買いに行ったり外の空気には触れていたはずなのだけど、そういう必要に駆られた外出ではなくあえて外に出てみると、目的地までの道のりも意味があるようで、これが映画だとしてカットしなくてもよい時間だなと感じた。

 

その後靴擦れをしてカラオケが1時間待ちでマクドナルドすぐ追い出されて食後で声が出にくくて2,3曲でのどがつぶれて半分ぐらい休憩に使って足の痛みに耐えながら家まで歩いてベッドに倒れこんで目が覚めると中途半端な夜であった。

外には出ない方がいいと思った。

6月24日 おれはアンデットソルジャー

このブログでもツイッターでもしきりに言っているのだが、私はApexLegendsというFPSゲームに熱中しており、その入れ込みようと言ったら一日出かけて疲れ切って、ゲームをする元気がない時でも、射撃練習場にはいくようにするぐらいで、もはや余暇にのんびり楽しむようなレベルではなくなってきている。

しかし、私の生きがいともいえるこのタイトルは、今苦境に立たされている。

不正なプログラム(チート)を使用して戦いを有利に進めるいわゆるチーターの存在は、FPSタイトルにはつきものであるが、ここ数か月のApexのそれは、すでに風物詩の域を超え、もはや毎試合必ずどこかでホーミング弾がお目にかかれるといっても過言ではなく、時にはチーターとチーターがぶつかり合って場が膠着状態に陥ったり、チーターがチーターから逃げてサーバーを変えたりする地獄絵図である。

毎日欠かさず長時間Apexの配信をしていた有名配信者たちも、(配信者狙いのチーターなどもいるとはいえ)口をそろえてチーター、ひいてはこのゲームの運営にたいしての不満を語り、苦しみながらもランクを維持するために義務のようにプレイを続けるもの、あきらめて別のゲームを探すものなどさまざまであるが、その様子を見てApexをやりたがる者はなかなかいないのではと思う。

空いた時間に軽くプレイする程度のプレイヤーや、始めたばかりでチーターが出ても区別がつかないようなプレイヤーであれば関係なかろうとは思うし、実際そういう人と雑談でもしながらゆっくりするのはいまだに楽しいのではあるけれども、ひとたび「いっちょ本腰入れて頑張ってみますか」と鼻息を荒くしながら厳しい戦いに挑むことは、私にはちょっとしんどくなってしまっていて、そういう一人の孤独な戦いができるというのもこのゲームの楽しい部分だったということもあって、どうにもやる気が起きなくなってしまった。

 

・一人で腰を据えてじっくり遊べて

・対戦や協力などで一緒に遊ぶこともでき

・プレイ人口が多くて誘える人がたくさんいて

・そんなに胃が痛くなるような緊張感ばかりではなく

チーターの少ないゲーム

こんな都合の良いゲームを探しているのだけど、知り合いの趣味なども絡んでくる以上、なかなか見つからない。

 

もはや楽しさとか悔しさとか、感情とは関係のないところが作用して、わたしのうでがApexを起動する。

何かの間違いでチーターが完全に消滅でもしてくれないか、とかなんとか、そんな未来が来るとは思っていないのだけど、それでも私は射撃訓練場にこもって、腕を磨き続けるのであった。