金曜2限 日本文学演習 第三講
授業で小説を読んだ。
志賀直哉の短編集から毎回一つの作品を選び、代表者一名がその作品についてプレゼン資料を作成して発表。
その他の学生は数人ずつグループに分かれ、プレゼンをもとに小説の分析をし、最後に全体で意見交換をする。
そうして一年かけて文庫本一つを読み込むという、なかなか気合の入った授業だ。
今回は表題作の『小僧の神様』についての発表だった。
奉公人として秤屋で働いている少年・仙吉は、店の番頭たちが寿司屋の話をするのを聞いて、寿司屋ののれんをくぐることのできる身分になることを夢想し、うまいと評判の寿司の味に思いをはせていた。
ある日、使いに出された仙吉は用事を済ませた後、何かにひかれるように寿司屋の屋台に向かい、思い切ってマグロの寿司に手を伸ばすのだが、帰りの電車賃では足りず、恥をかいて逃げ帰ってしまう。
数日後、秤屋を訪れた貴族院議員のAは、店内で仙吉を見かける。
屋台の客の一人であった貴族院議員のAは、仙吉が恥をかくのを見てかわいそうに思い、何かできないかと後悔していた。
Aは仙吉を俥宿へのお供に連れだして、この頃評判の寿司屋にて、三人前食べてもまだまだ余るほどのの金額を前払いし、小僧を残して逃げるように帰る。仙吉はほかに客のいないことを見るや、好きなだけ寿司を食った。
Aは仙吉に施しをしたことを思い返し、なぜだか悪いことをした時のような気持になる。
仙吉はAを超自然的なものではないかと思い始め、悲しいときは彼を思うことを慰めにして、いつかまた、思わぬ恵みをもって彼が目の前に現れることを信じるのだった。
授業開始から20分。
発表者の熱演が終わると、無作為に数人ずつブレイクアウトルームへと招待される。
各グループのリーダーたちの号令とともに、いきなり議論は白熱する。
他大学の相場はわからないが、この大学の学生は割合真面目だ。
特にこういう授業をとるような人の目の奥は燃えているし、言葉の端々からやる気がにじみ出ている。
彼らの熱意はオンライン授業になっても全く衰えず、みんな燃える瞳でWEBカメラを見つめているし、その言葉にはやる気が滲み出ているので音声はもれなく音割れしている。
私は目が燃えていないことを隠すためにカメラを切り、できるだけ大きな声で相槌を打ちながらも、引き続き『小僧の神様』を読み進める。
小僧も満足し、自分も満足していいはずだ。人を喜ばすことは悪いことではない。自分は当然、ある喜びを感じていいわけだ。
(そうだな。寿司を食べたがってるやつに寿司をおごってるわけだし、すげーいいことしてるよ。おまえ。)
ところが、どうだろう、この辺に寂しい、いやな気持ちは。
(なんだこいつ。めんどくさいやつだよ本当に。純文学ってこういうとこあるよな。)
「Aは、自分の行為に偽善性を感じたのではないでしょうか。」
「いくらごちそうしたところで、結局は優越者としての振る舞いでしかなく、貴族院議員である彼は、小僧から断絶した立場から施しをしているわけで。」
なるほど面白い意見ですね。私もそう思います。
自分は知らず知らずこだわっているのだ。しかし恥ずべきことを行ったというのではない。
(そうだそうだ。深く考えなくてもいいんだよ。おごってもらっていやな気持ちする人なんかあんまりいないって。)
「Aは仙吉の望みをかなえられていないのではないでしょうか。」
「というと。」
「ですから、仙吉が望んでいるのはマグロを食べることそれ自体ではなく、寿司屋ののれんをくぐれるような人間に成長することなのではないか、という。」
そうかあ。そういうのもありですね。
Aは小僧にすしをごちそうしてやった事、それから、あと、変に寂しい気持ちになったことなどを話した。
(でも、なかなか勇気が出なくて動けない、みたいなことってよくあるよな。)
「なぜでしょう。そんな寂しいお気になるの、不思議ネ」善良な細君は心配そうに眉をひそめた。
(電車で席座ってて、目の前に杖ついたおじいさんが立ってても、わざわざ声かけたりできないよな。そんな感じの話かな。)
「でも、それってAにはわかりようのないことですよね。Aの寂しい気持ちって仙吉の都合と関係ないんじゃないですかね。」
なるほどなあ。やっぱりねえ。
細君はちょっと考えるふうだった。すると、不意に、「ええ、そのお気持ちわかるわ」と言い出した。
(なんか奥さん適当こいてない?)
「そういう事ありますわ。なんでだか、そんなことあったように思うわ」
「そうかな」
(これ絶対適当言ってるって。全然具体的なこと言わねえし。)
「......は、何でもよかったわけじゃないんだと思います。」
「それは僕も思ってて、最終的に「秤」が効いてきて......」
そういうもんですかね......。
「でも、小僧はきっと大喜びでしたわ。そんな思いがけないごちそうになればだれでも喜びますわ。私でもいただきたいわ。そのお寿司電話で取り寄せられませんの?」
(あーあ。もう完全に話しそらしてるよ。めんどくさくなっちゃってるじゃん。)
(ここ気になるな、ちょっと読み返すか。)
ちょっと考えるふうだった。
(ここうまいな。ちょっと味方をしとくんだよな。なんか面倒なことになりそうだから、もう話そらす準備してるよな。)
「なんでだか、そんなことあったように思うわ」
(いったん間をおいて同意な。いるいるこういうやつ。同意しとけばいいって思ってるタイプな。)
「......が残酷という......実感がついて回るような......」
「ちょっと僕は......これはAも望んでいない......」
うーん......まあねえ......。
「そんな思いがけないごちそうになればだれでも喜びますわ。私でもいただきたいわ。そのお寿司電話で取り寄せられませんの?」
(ここで一気に畳みかけるんだわ。それで、ちょっとでも自分の興味のある話に持っていくんだわ。この辺の強引さ、なんかすごいリアルだよな。)
(志賀直哉って、風景の描写とかすごい細かいイメージあるよな。夕焼けがあーだこーだみたいなこと書いてたの、一回なにかで読んだな。)
(人の描写も細かいんだな。でもしぐさを上手に書けるのはわかるけど、こんなふうにごまかすときの戦略みたいなのまで表現できるのって、どういう事なんだろう。)
「......」
まあ、そうですよねえ......。
「と、いいますと?」
え?
「どう思います?」
まあ、繰り返しになっちゃうんですけど、僕もそういう残酷さみたいな?やっぱり、そういう方向でいいんじゃないかなって、思うかんじですかねえ。やっぱりこの小説の主題みたいなところあるし、そこの部分先生の話も聞いてみたいですよね。
「はあ。そうですか。」
それで、グループとしての意見はやっぱり......
「ああ。そうだ。この後発表でしたね。」
「議論するばっかりで意見がまとまってなかったですね。」
そうですよね、そうですよね。もう時間もないですけど、どうしますか。やっぱりリーダーにまとめてもらう形になると思うんですけど、ああ!もう1分もない!すいません人任せになってしまうんですけど、まとめてもらえませんかね?
「ああ。そうですね。わかりました。」
(結局読み終わらなかったな。やっぱり授業受けながらだと集中できないかもしれないな。)
「そう。でも、小僧はきっと大喜びでしたわ。そんな思いがけないごちそうになればだれでも喜びますわ。そのお寿司電話で取り寄せられませんの?」
(それにしてもこの奥さんの適当な感じ、やっぱりすごいリアルだよなあ。)
(いるなあ。こういうやつ。)