6月20日 一年後、私の悩みを受け止める人はどこにもいないのであった。

自分がいま何歳なのか免許証を見ないとわからなくなってしまったのだけど、今確認したところ私は22歳で、順調にいけば今年度で大学を卒業するはずなのだけど、どういうわけだか私は来年度以降も大学に籍を置くことになっていて、これに関しては時空がねじれているとしか考えられないのだが、とにかく私の卒業はまだ先であって、就活か進学かといった大学4年生にありがちだという諸問題については、今のところ実感がない。

何となくベルトコンベアの上に乗って、学生以外の名義を持たない人生を送っていると、必然的に知り合いは同年代に限られてしまう。
これまでの人生の節目には、同じような悩みを抱える人間と語り合って、具体的な解決策が浮かぶわけではなくても、何らかの慰めを得てきたものであるが、上記の通りここ最近私の周りの時空はねじれていて、一年ほど先を生きているのではないか、と思うような、なんだかよくわからない悩みについて私以外のみんなが話していて、ときたま通話でもすることがあると、全然何を言っているかわからずに、「まあね~」「しょうがないよね~」などと当り障りのない相槌を打ちながら、へらへらするほか何もできないのである。

進路に関する悩みに起因しているのか、そもそも気分が落ち込んでいる人も多く、漠然とした悩みに関しては、私にも関係のあるものであって、私の立場から言えることもあろうとは思うのだが、それでもやっぱり何にも言えずにへらへらするばかりなのだった。

私は、何をするにも相手の立場になって考えることが大事である、とは思っているが、それは自分の行動へのフィードバックの話であって、悩んでいる相手に対して「こうしたほうがいいんじゃない」などというのは、自分のやり方を押し付けることになってしまうのではないかと思って、できない。
他人である以上完全に同じ立場からしゃべれるわけではなく、はたから見れば取るに足りないことで、周りから見れば簡単だと本人も理解していることであっても、何故だかてこずってしまうというようなことは実体験としてあって、同僚や上司のような同じ目標に向かって協力し合う関係であれば何か注文を付けることもやぶさかではないが、すでに違う道を歩んでいる友人に対してその道について言えることなど何もない。

こんな風に自分の中でなんだかんだ理由をつけて、「何もない」と言っておかないと、へらへら聞き流すだけの自分のふがいなさに落ち込んでしまい、悩みを聞いたこっちにも悩みを打ち明ける相手が必要になるので、何もないと言ったら何もないのである。

同じ模試を受けに行ったヤマダクンや、一緒に買い食いしたタナカサンなどが、なんだかよくわからない悩みと戦っている間、私は今日も元気にAPEXのチーターにブチ切れたかと思うと、肉を焼いて口いっぱいに頬張って、おなか一杯にして眠るのだ。