6月4日 ゲームの中ならいくらでも踏み込む

高校からの友達にたぶらかされて、FPSゲームに手を染めて一年がたとうとしている。

初めは上級者のケツを追いかけるだけで、申し訳なさそうに小さくなりながら遊んでいたのが、次第に知識をつけ、コントローラーも手になじみ、強い人の見分けがつくようにもなり、ついてこない野良の味方に、ボイスチャットをつないでいないことをいいことにぶつくさ文句を垂れ、味方を観戦しながら自分が死んだことも忘れてあらさがしをし、全滅後のリザルト画面に映る戦績を見て、自分のキルが多ければ殺しきれない味方が悪く、自分の与ダメージが多ければ敵の体力を削ってくれない味方が悪くの二枚舌を操り、今ではすっかり模範的なFPSプレイヤーになったのであった。

やればやるほど他人に文句がわいてきて、自分の中にこんな感情があったのかと驚くばかりというか、普段はわりに物腰の柔らかいタイプで、例えば勉強など同級生に教えるときには、わかってもらえなければ自分を見直すし、そもそもAPEXだって、知り合いとやるときにはそれほど口も悪くなく、プレーが振るわなくても和やかな雰囲気を作るようにするが、相手が顔の見えない声の届かない相手だと、どうにも心臓の奥が真っ黒でドロドロになってしまうのである。

声の届かない見知らぬ人の、技術だけでやり取りをするという点において、fpsと車の運転はおそらく通じ合うところがあるのだろうと予測ができる。俗に「ハンドルを握ると人が変わる」と言うが、おそらく私はそうなのだろうなと思った。

教習所では小さくなっていたが、それはあくまで初心者だからなのだろう。
もし運転に慣れ始めてしまって、前の車に煽られでもしたら、私はアクセルを踏む足を止められるだろうか。

免許証の中の丸眼鏡の私を見た。少し微笑んでいた。
このカードはただの身分証であり、それ以上でもそれ以下でもないのだった。