6月17日 リビングデッドライター

何かまとまった文章を書く時には、どんな内容にするか書きながら考えている。

これはあまり健全な方法ではなく、事前にテーマを据えて大まかな構成を立てられるのならそれに越したことはないのだけど、それができるのは書くことがたくさんある人だけであり、ネタ切れにあえぎ無から有を生み出し続けることを余儀なくされた私には、そんな贅沢なことを言う余裕はないのであった。

これは私特有のものなのか、それとも世間一般に人間とはそういうものなのかわからないが、書くことがないとは言っても無理やり絞り出せば10文字ぐらいはにじみ出るわけで、あとはその搾りかすが意味を持つ文章になるまで片っ端から言葉をつなげていけば、決められた文字数を埋めるぐらいはできるのである。

線を引いては消すのを繰り返し、ぐうぜん美しく引けたものだけを残すことでイラストを描いているようなもので、当然いつかは書きあがるが冗談みたいに時間がかかるし、途中からは終わらせることばかり考えるので、全体の構成までは目が届かず、当然完成度は低くなる。
事前に何も考えなくてもよいというただ一つだけの利点のために、文章の質を置き去りにしている。

私にとって文章を書くということは書き直すということで、時間を無制限に使ったゾンビ戦法によって意味を持った文章であると判別できる状態にまで持っていくことが常態化している。
しばらく毎日日記を書いているが、日付をまたいで書き始めるとどうにも難産になる。
それもやっぱり早く終わらせることばかり考えてリテイクするのをめんどくさがっているせいである。

書きたいことが先にあるときはもう少してきぱきと書けるし、なんなら昼には書いて予約投稿するぐらいなのだけど、ここ最近は想像力の泉が枯れてしまって、村は干害にあえいでいます。

本格的に日記然としたその日の記録にシフトすれば、私の生活を鑑みれば二日目でネタが被るし、思いついたことを片っ端から書いていけば、とても公衆の面前にさらせるような文章にはならないしで、毎日毎日形のないものにはりぼての肉体を与え、勝ち目のない戦にゾンビ兵とともに挑み続ける日々は、もう少し続きそうである。