6月15日 デウス=エクス=ブタ=キムチ

狭い部屋、共同の風呂、キャンパスまでバスに乗って1時間かかる立地......

親元を離れこれから始まるバラ色の大学生活に期待に胸を躍らせたのもつかの間、主要キャンパスからあまりにも遠い寮に叩き込まれてしまった私は、北へ南へ駆けずり回り、朝も夜も早く、ロクに飲み会にも参加せずサークルも早々に抜け出し、毎夜小さなポケットWi-Fiだけを頼りに、一人孤独にゲーム配信を眺めながら眠るのだった。

寮に住むゆえにいくつかのチャンスを逃し、チャンスを逃すたびに寮に住んでいることを悔やみ、次第に精神はゆがみ、都合の悪いことが起こるたびにそれらのすべてを寮のせいにするようになった私は、両親にあることないこと吹き込んで、キャンパスの近くのアパートに逃げ込むことに成功する。
実に一年にわたる戦いであった。

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牢獄を抜け出してからの私は豚キムチをよく食べるようになった。
共同のキッチンゆえにちょっとした料理もままならなかったことからの反動か、私は料理がしたかった。

きっとこれはありがちな気まぐれで、作りたいだけ作って片付けもせずに満足する夫のような、離婚の原因の一端をなすようなうっすらとしたガサツさの発露であろうとは思うのだが、とにかく私は豚キムチを炒め、それを食べることを繰り返した。

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豚コマを炒め、各種中華風調味料を加え、油揚げ、キムチを合わせて味をなじませ、仕上げににら・・を加えて加熱する。それだけでよかった。

私の生活は恋も友情も単位もない穴ぼこだらけの張りぼてだが、豚キムチを炒めている間だけはすべてが満たされていた。

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時に下味をつけた。

酒が臭みをとる。醤油は味に深みを与える。片栗粉をまぶせばタレが具材にまとわりついて、時間がたっても味が落ちない。

凝れば凝るほど旨くなるという事実が、同じ料理を繰り返し作るからこそ染み渡った。

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米があれば他に何もいらず、米がなければ何にも食べられない私にとって、濃い味の総菜を自分の手で作るというのは革命だった。

健康的な味付けの家庭料理も、コンビニの企業努力が生んだ総菜も、好き勝手にいくらでも味を足せる一人暮らしの炒め物のまえにはひれ伏すしかない。

いくらでも炊いた。炊きすぎて残すほどだった。

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にんにくの芽を加えることもある。食感のアクセントが食欲を増幅する。

卵を合わせることもある。小ねぎを混ぜ込むこともある。キムチだけで味付けすることも、油揚げだけで炒めることもあった。

皿に盛る日もある。フライパンで食べる日もある。写真を撮る日もあれば撮る前に食べ終わる日もある。
豚キムチはすべてを受け入れる。私はどんな豚キムチも受け入れると心に誓った。



これまで無数の豚キムチを胃袋に収めてきた。私は豚キムチによって生かされており、豚キムチのために生きているのである。

なんせ自炊である。自炊をする人間は家庭的で合理的であって、自炊ができるのだから他に何もできなくとも褒められるわけである。外食だとか買い食いばかりしているようなやつは、今後ロクな人生を送らないのである。

コンビニで弁当でも買った方が安上がりですぐ食えることには目をつぶり、私は今日も豚キムチに凝るのであった。